狭小住宅をレポート
日本が当初に予定していた温室効果ガス三種類(CO2、メタン、一酸化二窒素)だけでなく、代替フロンなど物質三種も削減対象になり、負担は増した。
さらに議定書の削減数値目標は日本のもくろみと異なり、拘束力の強いものになった。
二○○○年時点で、CO2だけの排出量をみると一二億三八七○万トン。
基準年の一九九○年比で九・七%増となった。
二○○一年は排出が減ったものの、同九・五%増の一二億一三七○万トン。
エネルギー起源のCO2排出量の増加が著しく、通産省の見通しも外れた。
技術革新は進んでいるが、当時期待された二%削減分を生むほどのものはすり合わせで混乱があったことはうかがえる。
このように作られた日本案だったが、当時の評価を探ってみると批判が多かったようだ。
佐和隆光京都大学教授はこの案について、「哲学や思想、公平性などの理念が全くみえてこず、あまりにも場当たり的で失望しました」と述べた(注六)。
その通りだろう。
「国際的な相場観」をもとにして、閉ざされた空間で決まった案なのだから。
ない。
現時点で考えると、議定書の義務達成はほぼ絶望的だ。
未来というすべてが明らかになった高みに立って、過去の政策を批判するのはたやすく、はしたない行為かもしれない。
その場で責任を負った政府の当局者らは、限られた情報の中で最良と思ったことを善意に基づいて行ったことは疑いない。
だが、その結果が今の日本に与える影響はあまりにも大きい。
当時の当局者は、政策の達成可能性をどのように考えていたのか。
環境庁の元高官は、取材の申し込みに「詳細を忘れたので応じられない」と答えた。
ただ、同庁は環境省に名前が変わったあとも、強気の見通しは変えていない。
浜中裕徳地球環境局長(当時)は二○○二年六月一三日の衆議院環境委員会で、「中央環境審議会の議論によれば、日本の技術力を使えば六,九%の削減は可能」と答弁している。
一方、九七年当時に資源エネルギー庁長官だった稲川泰弘氏は、次のように語る。
「当時の問題意識は景気の回復と、エネルギー供給の安定化です。
数値目標は必死で働く経済界の重荷になります。
企業を束縛する統制経済は許されないという立場でした」。
「CO2が減らせないとの見通しは外れないと思っていました。
エネルギー源の構成比というのは、どんなに頑張っても短期では劇的に変えられません。
CO2の二%削減は大変な重荷になったと考えましたが、努力をすればできないことはないとも考えました。
ただ、現この会合の結末から、何が明らかになるのか。
京都議定書をめぐる政策決定の過程で、省庁間の意見のすり合わせが不十分だったことと、数値目標の根拠やその実現可能性が日本政府内で深く検討されなかったという事実だ。
日本が温室効果ガスを削減するという国家目標の決定は、官僚側が選択肢をまとめ、最後に政治が承認した。
削減幅は、「国際的な相場観」をもとに決まった。
その意思決定の場では、実現可能性よりも、「京都会議の成功」が優先した。
国内でのCO2の削減は難しいとの、通産省側の予想が合理性を持っていた。
会合の時点では「容易にCO2の削減が実現できるとは誰も思っていなかった」と出席者在からみると、運輸・民生部門の排出が急速に増えたことはやや予想外でした」。
「通産省が環境庁に勝ったなどと発表直後に報道されましたが、そのような考えはまったくありませんでした。
京都会議の先行きに対する緊張感が強かったと記憶しています」。
「通産省の当時の主張は、できることを着実にという当たり前のことです。
温暖化問題は一○○年計画で取り組んで効果の出る難しい問題です。
通産省が対策に反対したわけではありませんでした。
正論が通じずに私たちに批判が集まったのは非常に残念でした」。
は語る。
その結果、通産省の主張するように、「エネルギー起源の排出量は九○年比横ばい」ということが政府案では決まった。
だが、分かりづらい数字の操作を行うことで、日本案は「五%」、「二・五%」、「○・五%」という三つの数字が並ぶ、奇妙な姿になった。
しかも、その数字の内容は、突き詰めて考えられたものではない。
「日本は国内で基準年比二・五%の温室効果ガスの削減を行う」と決めたならば、その後の政策の中で政治家と政府が、真剣に国民の負担を問うべきだった。
CO2の排出はその国のエネルギー消費と密接に関係する。
エネルギーをいかに獲得し、国民がそれをどのように使うかは明らかな国内の事項だ。
京都議定書の決定に基づくCO2の削減は、エネルギー使用の抑制、つまり「主権を国際条約のために制限する」という非常に重い意味を持つ。
しかし、政府の国民への問いかけの言葉は少ない。
一方、日本と同様に国内での温室効果ガスの削減が困難と予想された米国では、京都会議の前や開催中に、有力新聞紙上で石油業界、鉄鋼業界など産業界の意見広告が連日掲載された。
各主要メディアでも、多彩な主張が論じられた。
上院は「米国の要求が満たされない場合には、京都議定書を批准しない」との内容の「バード・ヘーゲル決議」を採択した上で、京都会議に議員代表団を送り出した。
一方、ゴア副大統領など環境重視派の意見表明も活発だった。
このプロセスをみると、真実を直視して利害を徹底的に議論する米国の民主主義の健全さを感じる。
日本では京都会議前の国内での議論や政策決定の過程で、負担と効果を分析することが行われなかった。
「地球を守れ」という、当たり前の言葉ばかりが語られた。
米国とは非常に対照的な姿だ。
負担に関する議論がされない状況は二○○四年現在でも続いている。
その当時の京都会議をめぐった盛り上がりからみると、日本が「CO2を削減できない」という真実を伝えたとしても、内外からの批判が集中した可能性がある。
だが、できないことを「できない」と認める勇気も必要だったのではないか。
国にとっては「見栄えのよい事前提案」よりも、事後の「国際義務違反」のほうが明らかに損失となる。
竹内敬二『地球温暖化の政治学』、朝日新聞社、九八年、二○四,二○六ページ。
こうして決まった日本案は、一九九七年三月一日から二日まで行われた気候変動枠組み条約第三回締約国会議(京都会議、COP3)で変容する。
ここでの交渉によって、日本は当初予想以上の温室効果ガスの削減義務を負うことになった。
「どうなることかと、京都会議まで気をもんでいました。
責任者であるため不安は表に出さないよう苦慮しました」京都会議で日本の環境庁長官として議長を務め、二○○二年の議定書批准のときの環境大臣だった大木浩元衆議院議員は九七年当時の戸惑いを振り返る。
大木氏が環境庁長官を同年九月に引き継いだ時に、京都会議へ向けた国際間の交渉で何も決まっていないことに驚いた。
そして、大木氏が交渉をまとめようと動いても、状況は変化しなかった。
事前交渉が難航した理由は、削減の数値目標をどのように決めるかでもめたためだ。
各国が自らの国益と絡めた主張を展開した。
シナリオなしの交渉京都会議は国家間の主張のぶつかり合いとなる。
開催予定を一日延長し、最終日には徹夜の討議まで行って、議定書はまとめられた。
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